心機一転


私が2012年にShining Placeを始めてから12年目となりました。

20歳で社会人になってから、仕事を辞めるなんて選択肢は、考えてもなかった私でしたが、
出産後に急遽退職することになり、
子育てに専念した3年間。

その後、実家の家業を手伝うつもりで様々な資格を取得した。
大人になってからの新たな学びは楽しかった。
今までこんなに学ぶことが「楽しい」と思ったことはあったのか、
というくらい知らない世界へどんどん引き込まれていった。

そして、実家の家業を手伝うつもりが、
自分で「Shining Place」を立ち上げてしまうほど夢が膨らんでいった。


サロンも別で借りて開業したり、
この時期から出会いも視野も広がっていった。

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しかし、私はまだ幼稚園児の子どもの子育て中だった。
思うように進まないこともあった。
子育ては実家に頼ることも多くなった。

でもやっぱり子供は母親が必要なんです。。。
この時もいろいろあったな~・・・。


私は、約1年で夢を抱いたサロンを閉めて、
実家を手伝いながら自分の仕事も続けて2足のワラジ生活を始めた。

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でも、
やりたいことはやりながらも
いろいろ足を引っ張られているような・・・
なんか自分の求める姿を常に追いかけている感じだった。
全てにおいて中途半端だったのかもしれない・・・。

・・・あれから10年・・・

いろいろありながらも
楽しく過ごしていたつもりだった。

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やはりコロナは大きかったな・・・。

生活のすべてが変わっていった。
自分の仕事だけでなく、
実家の家業もそれはそれは大きく変わった。
踏ん張りもきかなくなる事態も起きて、
関係先も続々と倒産したり…


それでも何とかしようと試行錯誤して
前向きでいるときもあった。
今後の方向性などもいろいろ考えたし、
試した。
二足のワラジだった私は自分だけでなく、
実家のことも考えなければならないことも多くて
苦しかった。
でも苦しいなんて言ってる場合ではなかった。

コロナになり、すべて一つにまとめて私が引き継いで
頑張っていこう!と覚悟を決めた時もあった。

しかし、父親と全くうまくいかない・・・。
何を話してもうまくいかない・・・。
どんどんやればやるほど父親のことが「大」嫌いになっていく・・・。
ケンカ、トラブル多発。
毎日文句ばかりだった。

このまま継いでも、精神状態が持たないと判断して
私は一切を降りた。

少しは手伝うけどどっぷり手伝うことを辞めた。


かといって問題が解消されたわけでもなく、
コロナで仕事の依頼、仕事の在り方、求められ方、
いろいろ変わった。

私なりにあーでもない、こーでもない、
どの形が自分に合っているのか考えながらも
あまりスッキリした気分になれない数年間だった。

本来の何でも楽しむ自分が見えなくなっていた。


それと同時に私が笑うこと、楽しむこと、前向きな考えが
明らかに減っていったことなど、
様々な「負」を感じ取ったかのように、
息子も調子悪くなった。

たまたま時期が重なったのかもしれない。
しかし、私は自分責めを繰り返したり、
こんなはずではなかったのに~とよく泣いていた。

何をやってもうまくいかない。
自分が笑わないと子どもが・・・・
土台である家族がうまくいかないと全てが・・・・と。


何をしてても楽しくなかった。
しかし、そんな中でも、仕事に救われることは多々あった。
仕事の時は笑えるし、楽しい時間を過ごせる。
その頃出会った仲間たちにもたくさん救われた。

仕事していてよかった、と心から思った。


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そして昨年、
コロナが5類に引き下げられて、
いろいろと元通りになっていくなか、
元通りではなく新しい形ができ上っていくことも感じた。

コロナの渦中でもなく、元通りでもない時代。

そのころ息子も少しづつ元通りになっていってた。
息子の本来の姿まであと一押し!というところまで来ていた。

私は仕事ややりたいことをを少しセーブして、
「義務教育期間に母親としてできること」を意識して過ごすようにしていた。
子育てに後悔したくなかった。


だから考える時間がたくさんあった。
すると、
今の仕事、抱えてる仕事など違和感がたくさんあることに気づいた。

私は、この12年たくさん学んだ。
勉強した。
お金もたくさん投資した。

この「学び」は資格や趣味だけでない。
人生勉強も含めてだ。

地獄の底の経験もした。
人についても知ったし、学んだ。
感情についても数えきれないことがたくさん起きた。
たくさん泣き叫ぶことなんてそうそうない経験だと思う。

これらを人生の「経験」や「思い出」で終わりにしたくない。
活かさなきゃ生きてる意味ない!!

私には活かす場所があるはず!!


そんな風に思い始め、、、、


出来ることをするのをやめよう。
私にしかできないこととか考えることもやめよう。
本当にやりたいことだけをやろう。
やりたくないことはやらなくてもいいことにしよう。
固定概念を手放そう。



と、昨夏からいろいろ考え始めた。
ひらめいたことを形にしてみたり、直してみたり・・・
嬉しいことに、
一緒にお友達が頭をひねらせてくれ、
アイデアくれたり、
私のために時間をたくさん作ってくれた。


そして昨年末くらいから、
これからはこんな感じで行こうって形になってきたその頃ではあったが、
自分の中で、どこか腑に落ちてなかったというか・・・
心の底から「=私」になってなかったところがあった。

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そんな中、
息子の進学先が決まり、入学手続きを済ませた今年の1月終わりころから
親子で話すことも増え、
息子の表情も変わっていき、

学んだことや出来ることを仕事にしてきたし、
積み重ねたキャリアも無くすのが怖かった私でしたが、
いろいろ含めて今後の自分自身の生活スタイルを考えて迎えた2月3日の節分

そして次の日の2月4日立春の日に、
私は全てがさーーーーっと塗り替えられた感覚となった。


私、占い師としてこれから生きていきたい。

裏メニューとしてあまり表に出していなかった「占い・鑑定」

実は何気に人気だし、自分も大好きだし、周囲からも「当たる」「スッキリした」「来て良かった」と好評で自分が一番笑顔になれる時間だった。

スピリチュアル要素は、12年目に死産をしたとき、幽体離脱をした経験から目覚めていった。
亡くなった子が、命と引き換えに残してくれたメッセージも十分に発揮できるし、
何より、自分で考えて作成した自慢のカードもある!

これね、シャイニングカードと言ってこれは絶対商品化したいと思っているもの。
すごいカードなのです。

そして立春の数日後に、職業を聞かれることがあり、
堂々と「占い師です」と言ったのです。
これね、今まで職業を聞かれたときに、いろいろやってることありすぎて
どう説明したらわかりやすいか、って
ずーーーーっと私の中でのテーマだったのです。


腑におちるってこういうことか、と思うくらい
それからはいろいろと事が進み、
思うようになることも多く、
ホームページやインスタも変更しました。
まだ完ぺきとは言えないけど、だいぶ整理できたと思う。

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息子の義務教育が終わり、
これから「自立したい」といって自ら寮生活を選び、
覚悟を決めて他県へ進学する息子と同じタイミングで

私も「占い師」として覚悟をきめて
もっともっと楽しい日々を取り戻していこうと思います。

親子で心機一転!


こういう日が来るとは思ってもなかったけど
望んでたことなのかもしれない。


長文を最後まで読んでくださった方、
ありがとうございました。

今日(3月15日)という最強開運日に
気持ちを公開出来て良かった!

Shining Place
遠藤智美